積極的?

 どうも私は初対面の人には積極的・チャレンジャー・強いと言った印象を与えるらしい。

 だが、それは大いに間違っていると言いたい。

 
 
 
 と言うのは、実際のところ全然積極的ではないし、チャレンジャーでもない。強い……かどうかはもしかしたら直ぐ割り切れるというのが結びついているかもしれないので、保留。
 
 
 
■積極的の否定

 最近、mixiを始めたわけだが、これがまったくもって私の消極性を如実に表している。mixiソーシャルネットワーキングなのだが、これはネット上において友達の輪を作り、自然と集まったものでコミュニティを形成していく、というものだ。
 マイミクシィと言うのだが、貴方は私の友達! みたいな行動を起こして、相手が承認すれば友達になれる。中には突然そういったことが出来る人がいるようだが、私は出来ない。
 日記へのコメントを書き書かれ、メッセージを何度かやり取りし、どちらからともなく、そういやマイミクシィしてなかったね。しとく? みたいな感じでしか行動出来ないし、まだしてない。

 こんな姿を見て積極的であると言えるだろうか? 否、言えない(反語?)
 
 
 
■チャレンジャーの否定

 私はまぁいろいろと行動を起こす。もしかしたらそれが人より多く、また無謀なことでチャレンジャーだと思われるのかもしれない。
 だが、私は無謀なこと、失敗したらとんでもないことになってしまうこと、には決して手を出さない。期待値を考えて、損をすることもやらない。パチンコ、スロット、競馬。全部期待値はマイナスだ。そうでなくては運営側は儲からない。

 本来、宝くじのようなものは、例え期待値はマイナスでも成功した時の利益を考え、チャレンジするのが経営的判断になるらしい。だが、私は出来ない。つまり、経営者には向かない。

 大体、私が今希望としているのは終身雇用だ。時代遅れ過ぎるし、それでは生きていけないのは分かっていても、安定性安全性を求める。

 これでもチャレンジャーだと言えるだろうか? 否、言えない。
 
 
 
■強い?

 二つの事柄を否定してきたわけだが、リアルの私を知らない人にとっては、そりゃ全然積極的じゃないし、チャレンジャーでもない。本当にそんな印象与えるのかよ? と言った感じだろう。最終判断は次を見て行って欲しい。

 次に、何故強いと思われるのか、考えてみた。

 私は極端が好きだ。0か1、あるかなしに突っ走る傾向がある。今現在は中間地点であっても、求めるところは極論だ。
 そして、諦めが早い。それはもう、「少しは努力しろよ」と言われるぐらいに。だが、私は極端だ。極められないならまったく出来ない方がいい。中途半端に出来るなら、出来ないふりをする。投げ出す時は徹底的に投げ出す。今は毎日大学へ行っているが、一日でも行かなくなったら、さっさと退学届けを出す。しかし、これが徹底出来ているかと言ったらそうではない。つまり、中途半端。強くない。

 もしかしたら、中途半端にせよ、一部極論に走るところが強いと勘違いされるのかもしれない。

 しかし、それは強いと言えるのだろうか? 否、言えない。
 
 
 
■そもそも私は気まぐれ

 別にB型だから、というつもりはないが、気まぐれだ。今はしっかりした学生を演じたい気分なのだ。宿題も何もやらない学生を演じた時期もある。徹底してやるから楽しい。ただそれだけ。

 気まぐれ度合いを表すエピソードを一つ。
 授業を受けないと決めた先生の授業は、席には必ず着くものの、まったく話を聞かなかったことを徹底した1年間がある。しかし、私にとってそれは気まぐれ。ゲームだ。成績は優である5を取ることを自らに義務つけた。勿論、宿題を出さない先生である、ということを分かっての行動だから、チャレンジではない。周りに言ったわけでもないから、積極的でもない(これは違うか)。結果、5を取ることは出来た。だが、先生の目に私はどんな風に映ったのだろう。気になるところだ。気まぐれで。